2023年


ーーー9/5−−−  流れに逆らう家風


 
近ごろの小学生のランドセルは、カラフルであろ。私が子供の頃は、ランドセルの色は、男子なら黒、女子なら赤に、ほぼ統一されていた。今では、赤いランドセルを背負っている女子は少ないくらいだろう。何やら理由があって赤は敬遠される傾向らしいが、代わりに青や薄紫など、昔は無かったような色が見られて、ちょっと驚かされる。

 私のランドセルは、茶色だった。着色によるものではなく、素材の皮の色そのままという感じで、地味だった。私は他の子と同じような、光沢のある黒いランドセルが欲しかった。しかし母は「この方が品物が良いのよ」と言って、勝手に決めてしまった。私は6年間、これに関しては異端の気持ちを抱いて過ごした。

 他の子と違う物を持たされて、気まずい思いをしたのは、ランドセルだけではない。中学に入って、体育の授業で使う剣道の竹刀を買った。竹刀そのものは、学校でまとめて注文したものを買ったが、袋は要らないと母は言った。自分が裁縫で作ると言うのである。

 学校が斡旋した、竹刀とセットになった袋は緑色の唐草模様の細身の袋で、鍔は外して付属の小さな袋に収納した。母は、鍔を付けたまま収納する袋を作った。竹刀を納めた姿は、他の子が手にしているスリムな物と比べると、まことに粋でない、ダサイ形のシロモノだった。色は、たまたま余っていた布だったのだろうが、群青色。私は学校の行き帰りに、この物体を持ち歩くのがとても嫌だった。みんなと同じ、普通の物を持ちたかったのである。しかし母は、「鍔を外さずに入れられるから便利よ」と自慢げだった。

 家庭科の授業で使う裁縫道具一式を買うことになった。学校が斡旋している品物のカタログが配られたが、これにも母は抵抗した。家に余っている裁縫道具を集めてお菓子の空き箱に入れ、「これで十分だ」と言った。授業の時、周囲の生徒はお揃いの裁縫箱を前にしていたが、私だけは菓子箱だった。中身の道具は、違いがばれるようなものでは無かったが、箱だけで私は十分に恥ずかしい気がした。

 余談だが、家庭科の先生が授業の中で、裁縫の際に糸屑が散らからないように気を配りなさいと言った。家に帰って母に言うと、イチゴのパックの透明な容器を出してきて「これに糸屑を捨てれば良いでしょう」と言った。次の授業の時、私は持参したその容器を、作業グループの机の上に置いた。それに目を止めた先生から、教室全体に響くほどの声で、激しく褒められた。

 これらは一部の例だが、とにかく母のおかげで周囲と違うことをやらされることが多かった。まるで母は、集団や組織の流れに、安易に身を任せてはいけない、という信念を持っているかのようであった。それが引き継がれているのだろうか。私も子供たちに、独自なやり方を強いることがあった。

 息子が中一のとき、学校登山があった。学校を通じて、登山靴やリュックサックなどが斡旋された。私は家に有る物で十分だと言って、取り合わなかった。靴は地下足袋を使わせた。私自身、その当時は地下足袋で登山をしていたのである。息子は嫌な顔をしたが、しぶしぶ承知した。

 山から戻った息子は、なんだか得意げだった。随行した地元の山案内人組合のおじさんから、「おや、地下足袋か。おらと同じだね。山ではこれがいいのだよ」などと持ち上げられたらしい。また他の子たちが、慣れぬ登山靴で豆を作ったり、あるいは靴が壊れたりと、トラブルが続出する中、地下足袋は快調だった。行きずりの登山者から「ぼうず渋いものを履いてるね」とか「似合ってるよ」などと話題を集め、良い気分になったようである。山頂での記念写真は、一歩前にドンと地下足袋を踏み出した姿で写っていた。




ーーー9/12−−−  ぶら下がり、再び


 
腰痛は私の持病である。職業病とも言える。若い頃から悩まされてきたが、加齢とともに悩ましさが増してきた。腰が痛くて生活に支障が出るほどではないが、とにかく痛い。特に、朝起きたときの痛みがひどい。洗面をするのに、腰を曲げることができないくらいである。

 今年の初め、ある方から整骨院を紹介され、4ヶ月ほど通った。掛かり始めてしばらくすると、腰痛が軽くなった。これはいいぞと思ったが、二ケ月ほど経つと、治療の効果が目立たなくなった。先生は、体に不調を抱えているのだから、週に一二回は来るようにと言った。保険が適用されるので、金銭的な負担は大きくない。しかし、先の見通しも立たず、いつまでも通い続けるようだと、気が重い。

 鍼灸院へも行った。これまでお世話になった先生が引退をしたので、別の先生を紹介してもらった。私は、自分の経験から言って、鍼灸治療との相性は良いと思う。しかし、治療費が高額なので、頻繁には通えない。

 その腰痛だが、この一ケ月ほどは具合が良い。完全に消え去ったわけでは無いが、明らかに軽減している。それと同時に、これまで日常的だった腹の不調(腹下し)が鳴りを潜めた。くだんの整骨院に通っていた時も、腰痛が軽くなると腹の具合も良くなるという現象があった。それを告げると先生は、腰痛は血流と関係があり、腰痛が治まるという事は、血流が良くなって全身が整うことだから、腹の具合も良くなるのだと言われた。

 さて、何故最近になって腰痛が改善したのか。こういう原因を特定するのは難しい。日々の生活の中には、大なり小なり様々な変化がある。気候による環境の変化はもとより、生活習慣でも、これまで行って来た事を止めたり、逆に新しいことを始めたりする。そういう様々な事が、単独で、あるいは相互作用で体調に影響を与える。慢性的な健康の問題は、その複雑さの上に存在する。体調変化の因果関係を突き止めるのは、専門的な研究者でない限り、無理である。

 それでも、思い当る事が無いわけでもない。これまで朝食後に行っていたストレッチ運動を、起床直後に変えたこと。そのストレッチ運動に続けて、ラジオ体操をやるようにしたこと。ぶら下がり健康法をやるようになったこと。この三つである。それぞれ、体を整える効果があることは明白だろうが、どうやらぶら下がりが効いているように思われる。

 おや、過去にもこんなことを書いた気がする、と思って調べてみたら、2005年9月の記事に書いてあった。それを読むと、ぶら下がりのおかげで体の具合が良くなったとあり、だから続けて行きたいというようなことが書いてあった。しかし実際は、それがどれくらい続いたかは覚えていないが、結局は止めてしまって、もう久しい。

 健康に良いという手ごたえを感じながら、止めてしまったのは何故か? まあ、ありがちな事ではある。健康に良いことを止めてしまったり、逆に健康に悪い事を続けているということは、いくらでも思い当る。それはさておき、再び脚光を浴びつつあるぶら下がりを、できれば続けて行きたいと思う。そのためには、手軽にいつでも出来る環境にすることが大事だと思った。

 過去は、踏み台を使って二階の事務所の下の鉄骨にぶら下がっていたのだが、現在はブランコ状のものを吊り下げて、それにぶら下がるようにしている。体を伸ばすと足が地面に付くが、足を曲げて浮かせれば良いし、足が地面に接してもさほど問題は無い。踏み台を使うよりは、体の動きがスムーズである。つまり、やり易い。

 さらに、自転車のローラー台トレーニングの場になっている裏口脇の差し掛けにも、パイプを渡してぶら下がりができるようにした。雨の日でも濡れずにぶら下がれるようにするためである。

 それでも足りなくて、屋内にもぶら下がれる場所を見付けた。室内を仕切るカーテンの、カーテンボックスにぶら下がるのである。しかしこれは完全に足が床についてしまうので、満足が行く物ではない。急場しのぎに使う程度である。

 今計画しているのは、屋内の別の場所に、ぶら下がり設備を設けることだ。建物の構造上、壁が80センチほどのスパンで向き合っている場所がある。そこに丸棒を渡すのだが、天井近くに設置すれば、爪先を床から離すことができるはずだ。

 目下のところ、ぶら下がりで頭がいっぱいの私である。この度は、一生続けていく決意である。




ーーー9/19−−−  扇風機の夏


 
我が家にはエアコンが無い。と言えたのは一昨年までで、現在はカミさんの寝室に設置されている。夏休みに大阪の孫たちが来る際に、その部屋が寝場所となる。暑くては可愛そうだからと、設置したのであった。それまでは、我が家でエアコンの必要性を感じたことは無かった。暑くて困ることは無かったからである。

 温暖化の波は、じわじわと爽やか信州にも押し寄せているのである。

 今年の夏は、温暖化現象がいっそう明瞭になった。日本中で、気温の高さの記録が塗り替えられていった。長野県もしかり。ここ安曇野でも、8月上旬に37度を記録した。歴代最高では無かったようだが、現実の感覚としては、まさに異常事態である。

 さいきん、象嵌作業は母屋の寝室の隅に設けた作業台でやっている。作冬、寒い工房から移動して以来、そのまま居続けているのである。この部屋、冬は石油ストーブを暖房に使っているが、夏はエアコンが無いから冷房できない。この夏の暑さは、とてもこたえた。窓を開け放しても、暑くてたまらない。そこで、ずうっと以前に買った扇風機を引っ張り出して使うことにした。

 この扇風機が、活躍してくれた。風が体に当たりっ放しだと良くないから、首振りモードにする。そして、最弱にセットするのだが、それでも風が強いと感じるので、遠くに置く。カーテンの間仕切りを開けて、隣の部屋から風を送るようにした。距離が遠くなるほど、少しの違いでも風の強さに影響が出る。最適のポイントを見付ければ、人工的な風とは思えないほど、優しい風が流れてくる。ほとんど扇風機を意識しないくらいだが、涼しさは確実にある。

 ここ十数年、気にも留めていなかった、忘れ去られたような存在だった扇風機だが、使ってみれば大いに効果があった。しかしこれも、信州だからこその出来事ではないかと思う。

 信州では、暑い日でも日陰に入れば涼を感じる。陽が陰れば、急に涼しくなる。

 気温は東京でも信州でも、日陰で測定しているのだから、35度はどちらも同じに暑いと言えそうだが、実感としては多きな差がある。東京では、そこらじゅうが暑いので、空気の流れが暑さを誘う。もはや扇風機で涼を得ることは出来ないだろう。しかし信州の田舎では、森や田んぼが涼しい空気を供給する。高い山から吹き下ろす涼しい風もある。空気が熱気を帯びていないから、旧式の扇風機がまだ活躍できるのである。

 信州はまだまだ自然に近い土地柄と言えるだろう。 




ーーー9/26−−−  ウエストバッグの恨み


  
この6月、会社時代の山の仲間8人が集まって、自然豊かな場所にある宿泊施設で二泊三日を過ごした。到着した日の午後、付近を散策することになり、身支度を整えてロビーに集まった。

 私の格好を見て、後輩のY君が「大竹さん、そのウエストバッグは、加齢臭が漂うような老人のトレードマークですよ」と手厳しい事を言った。性格の悪い人間ではないが、頭に浮かんだことが、フィルターを介さずにそのまま口に出るタイプの、関西人である。

 ウエストバッグなどを着用するのは、老人の証しであるという意味の発言である。わたしは、これまでそういう認識は無かったので、ちょっと驚いた。

 ウエストバッグは便利で気に入っており、外出する際はいつも着用する。中には財布、免許証、スマホなどを入れる。それらの物を服のポケットに入れると、何をどこに入れたか、迷うことがある。服によってポケットの位置や大きさが異なるからである。また、ポケットはちょっとした動作のはずみで、中の物を落とす恐れがある。女性のハンドバッグのような、小さ目のカバンに入れるという手もあるが、慣れない身には置き忘れが心配だ。その点ウエストバッグは、腰に巻いているから、紛失する事が無い。

 登山に行く場合も、ウエストバッグは欠かせない。地図、記録の手帳、カメラ、ティッシュ、飴玉などを入れる。これらをザックのポケットに収納すると、取り出しがいささか面倒になる。決まった場所に、限られた物しか入っていないというのは、良い収納の鉄則だが、ウエストバッグはまさにそのニーズに合致する。

 Y君の発言に腹を立てたというほどではないが、少々カチンと来た私。その後の三日間は、ことさら自嘲的にウエストバッグを口に出した。

 宴会をしている最中に、私が皿か何かを間違える。誰かが「大竹さん、それ違うよ」などと言うと、「しょうがないですよ、私はウエストバッグの老人ですから」。トレッキングに出て、小便がしたくなり、木陰でジヨーッとやる。誰かが「大竹さん、さっきトイレで済ませたのに、もう催したですか?」と言えば、「近いんですよ、ウエストバッグだから」と返す。話題がもの忘れについてとなると、すかさず私も「ウエストバッグですからね、忘れてばかりですわ」

 そのうち誰となく「大竹さん、例の一件をずいぶん根に持っているようですね」と言うようになった。

 そりゃそうですよ、ウエストバッグですから。